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【自分のモノサシを持とう】

外で起こる様々な現象を、自らの状況に置き換えて思考すること・・・・それは容易いことではない。

「多様性の時代」と言われて久しい。
それは、国際社会が成熟し、生きていくうえで必要最低限の物資が行き渡ったことを前提としている。
またそれは「生きていくうえで必要」という根源的なものから、「欲しい」というより高次な欲求への移行も意味している。
先進国では、物資調達への不安は解消し、基本的人権という概念を守る戦いが続いている。

ビジネスに目を遣ると、どうか。
規模で圧倒する戦略が立ち行かなくなった企業の姿が連日報道されている。
規模のビジネスは、経済原理として、最適化・合理化と削減の方向に向かう。
最適化や合理化は、単なるシステム上の話に留まらず、その中で働く私たち人間のコストに落とし込まれてくる・・・この流れが加速するのが今世紀であろう。

ものごとの摂理に従えば、どちらか一方に向かう力が働くと、バランスすべく逆の流れが生じるものだ。
最適化・合理化が進む程に、新たな基軸がクローズアップされてくる・・・・それが多様性だ。

高度成長期、国際社会はモノサシを単純化してニーズを惹起してきた。
声高に操り、思考する余裕を与えず、単純化し煽動する手法が幅を利かせていく。
そうして知らず知らずのうちに、私たちも見た目で分かりやすい評価軸に煽られ、価値判断をさせられてきた。
しかし成熟した私たちのマインドは、その先へ歩を進めている。

ふとした瞬間、単純化されたモノサシに振り回されている自分に気付く。
そもそも評価軸は、社会性を帯びたものと個人限定的なものとの両方があって良い。
いやむしろ、その両軸にある幅が、人間としての魅力にもなるはずだ。
何故ならば、単一のモノサシしか持たない存在は、日々刻々と変化するスピードと多様性に追随することが難しくなるからだ。

いま一度振り返ろう・・・・単純化されたモノサシで、評価をしてはいないだろうか。
社会が、先人たちが決めた尺度で、ものごとに接してはいないだろうか・・・・
誰かの恣意性が働いている、そのモノサシで・・・

世の流れは循環していて、自分の目を通して行う評価は、巡り巡って、相手がそして社会が、自分への評価として返ってくるに違いない。

そう、自らが接するものの価値評価を単純化されたモノサシで見てしまうと、多様性を持つ私たち個人の能力スキルまでがそのモノサシで評価されてしまうことに気付くはずだ。

時代の先端を駆け抜ける大人たちが纏うべきもの・・・それは自分独自のモノサシ。
見えぬ何ものかが恣意的に作り出した基準に左右されることなく、時代を突き抜け、人々に感動を与える本質に根差した自己基準というモノサシ。
それを手にした大人たちは、ビジネスシーンを活性化し、関わる人々に光を与え、停滞した世の中を次代に向けて転がしてゆくことだろう。

Rio de Piedra。長い歴史に裏打ちされた確かな目、品質への拘り、そして関わる人たちへの愛情。
名の知れたブランドもある、広告宣伝でもっと目にするものもある。
私は私独自の基準で、良い思想哲学をベースにしたものつくりにこころが動く。

そして・・・・自分基準をより確かなものにするべく、自分の目で確かめ、自分のこころで判断する。
どんな人々が関わっているか、どんな思想がそこにあるのか・・・
それをより強く確かめる感受性と行動力が、時代を切り開いていくだろう。

私の一つの選択動機、それがRio de Piedra の物つくり思想にある。

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